こんにちはスタジオプレアデス清水自立訓練の伊藤です。
最近、ネットでゲームをする機会がありました。
そこで感じた一人称の自由と不自由さについて今日はお話ししたいと思います。
日本にはたくさん一人称がありますよね。
「私」「僕」「俺」「自分」…漫画で使われている一人称を含めたら膨大な数になると思います。
余談ですが、海外の友人に「漢字の僕とカタカナのボクは何が違うのか」
と聞かれて非常に焦った覚えがあります。
かしこまった場では男女問わず「私」を一人称として使うことが多いですが、
私生活となると様々な一人称を使いますよね。
ネットも同じで、自ら公表してはいないけど女性だろうなという人が
「僕」を使っていたり「俺」と言ったりするのを目にします。
その現場でたまにあるのが、性別どっち問題です。個人的にはすごく嫌い。
「えっ女性ですよね」とか「僕っ娘ですか」とか聞いているのは本当に鬱陶しい。
一人称はその一単語で自由に性別やその人の雰囲気やキャラクターを感じ取らせるものだと思います。
一瞬で人物像をおぼろげにでも把握できてとても便利ですよね。
ネットで顔も性別も分からないからこそ自由にふるまいたい人や本当の性別で話したい人もいるんじゃないか、
ネットだから護身で性別を分からないように振舞っているんじゃないか、
その一人称を使うにも人の数だけ理由があるんじゃないか、
そう思っているので一人称を茶化してくる人には抵抗感を覚えます。
女性は「私」で男性は「俺」そんな価値観は平成と共に置いていきなよ、時代は令和よ
激動の始まりを告げる令和と共にどんどん変わる時代に身を任せていきたいなと感じる伊藤なのでした。